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アラサーオタクのうつ病回復雑記。

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劇場版名探偵コナン ゼロの執行人 真面目な感想と考察

前回は本当安室透に気が行き過ぎてそれしか書けなかったのだが、改めて見に行ったので真面目に書いてみることにする。がっつりネタバレ感想考察。

今回の映画からコナンに舞い戻った人間なので各キャラクターについてにわか知識しか持っておりません。なのでところどころ違うかも。

 


劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』福山雅治主題歌 予告映像【2018年4月13日公開】

 

毛利事務所の家宅捜索

この時点で風見が何やら怪しい動きをしているなと思ったら案の定。それに気づかなかったコナンというのはちょっと不自然な気がした。だってコナンだぜ?まあ小五郎に気を取られていたからということなのだろう。

 

ポアロの前にわざわざ出てきた安室

コナンがいるのをおそらくわかっていてわざわざ出て行ったのか、何かしていたかったのか。
毛利小五郎に何かあれば君の本気が見れると思って」と言っている辺りおそらく挑発行為だったのだろうけど、あえて弱い言い方をすればコナンに助けて欲しかったのでは。なんだかんだで安室はコナンを信頼しているようだし。それにサミット会場の爆発で一般人は巻き添えにならなかったものの、公安、つまり降谷の仲間が犠牲になったわけで、スコッチの件を考えると降谷は身内は大事にしている(甘いとは違う)方なので正直心的ダメージは深かっただろう。だから気持ちをそらすためポアロに普通にバイトしにきて、普通に仕事をこなしていただけ、ということも考えられる。

 

コナンの問いかけに対して

コナンに問いかけられつつ安室がポアロに入るとこ、否定でも肯定でもない返事で答えている。コナンに公安であることはバレているわけだから、否定する必要はなかったわけだけど、肯定しなかったのは、しなかったというより自分は表立って動けないから肯定できなかった、という感じがする。このときの安室は傷心真っ只中だろうから余裕がなかっただけかもしれないけど、そうではない、ような気がする。あえて今回自分は見方ではないような素振りを見せてコナンをけしかけた、のか?

 

毛利小五郎を犯人に見せかける理由

事故として処理されないためにあえて誰かの指紋を残した。その機転の利かせ方はさすがだが、それはつまり爆発で混乱している最中真っ先にコナンが浮かんだということなわけで、コナンならどうにかしてくれるという一種の信頼が表れに見える。降谷のことだし持っていた指紋はおそらく小五郎だけではないだろうに。コナンは「買い被りすぎだよ」と言っていたが実際降谷の判断は正しかったわけだ。

 

決死のドライブ

この映画最大の見せ場なのではないだろうか。さすがフィクションやりたい放題と思って見ていたのだが、どうもかなりリアルに作られているらしい。ツイッターで車に詳しい方の感想ツイートが流れてきたのだが、エンジンの音まで拘ってあるのだとか。ここの安室透は最高だった。ハイ状態になって笑みまで浮かべちゃって。実際それだけ自分の運転テクに自信があったということなのだろうが、それでもあんな無茶やるか普通。しかしやらなければ被害が出る。それを救うのが安室透であり降谷零という男の正義なのだろう。

 

コナンと安室の関係

なんだかんだで信頼し合ってるよね。安室はコナンなら謎を解いてくれると思っていたし、何より予測が外れた落下をどうするか作戦も詳しく聞かずにコナンを連れて行ってくれるし、コナンは安室なら落下予測地点に間に合うよう連れていってくれると思っていた。そしてあの状況で愛だの恋だのの雑談を交わす余裕。なんだこの二人。どっちもおそろしい。

 

「ゼロの執行人」とは誰なのか

そりゃ安室透こと降谷零だろう。と思うのだが羽場二三一という名前を使っている辺り日下部検事のことでもあるんだろうな。日下部検事は羽場が自殺に追い込まれたことは正義ではないという怒りのためにテロという形で執行した。降谷は公安警察の立場から爆発事故ではなくテロだと見抜き犯人を捕まえるため執行した。どちらも執行人だったわけだ。

 

橘弁護士について

もうちょっと掘り下げて欲しかったキャラクター。最後の羽場の居所のメモを叩くのはなんだか唐突過ぎる気がした。今までの劇場版コナンだったらきっと帆場に会いに行っていただろうに、それを撥ね退けるのは意外だった。あの描かれ方だと後からやっぱり会いに行っておけばよかったと後悔しそうなキャラクターに思えてしまった。本来はおそらくそんなことはしないキャラクターなのだろうけど。「私の判断」と言っている辺り強い女性なんだろうけど、どうも私にはそこまで強いキャラクターには見えなかった。特に、自分の事を調べられて羽場が出てきたときあっさり下の名前で呼んでしまっていることに違和感。そこで羽場と特別な関係性を匂わせるのは詰めが甘いなあと思ってしまった。まあ物語をわかりやすくするためには仕方なかったのだろうけど。あと犯人のミスリードのためか。

 

「正義はそう涙の数だけ」

主題歌ー零ーZEROは、降谷零の歌であり、また劇中に出てきた”正義”を持つ者たちの歌ととれる。それぞれがそれぞれの正義を持っていて、表す形がどうあれそれは正義だった。視点が誰なのかによって「君」が誰なのか異なってくる。もちろん降谷の君は日本。

 

それぞれの正義

・羽場二三一

橘弁護士と同じでもうちょっと掘り下げが欲しかったなーと思う。なんで弁護士になる権利を剥奪されるほどの人間と判断されたのか。まあ強すぎる正義感はときとして歪むしな、なーんて中二くさいことを考えていたのだが、どうも正義感が強すぎるというより「正義である自分」に酔っているように見えてきた。降谷や日下部のように正義を貫こうとするのではなく、正義である自分に酔っている、これはかなり危険なことなのではないか。これは正義だと言われれば多少の犠牲は厭わない、ときとしては悪にもなるのも厭わない、そんな人間なのではないか。実際日下部検事の協力者として正義として振舞っていたものの、ハッキングがバレて捕まって、それでもなお日下部検事の名前は出さなかった。日下部検事を守るためとも取れるが、”正義を執行して”その上で捕まって犯罪者となるという自分に酔っていたように見える。しかし彼は公安警察に身柄を保護される。それを拒まなかったのは、公安警察という正義の味方になれることに酔っていたのではないか。結局彼は「正義の味方」というよりは「正義であることに酔いしれるただの人間」だった。よって彼は正義ではない。お前は正義ではないと言われれば発狂しそうな人間、それが羽場二三一なのだと思う。

 

・日下部検事

彼の正義は公安検察として職務を全うすること。これに尽きる。若木検事は公安警察の犬になることと引き換えに自身の出世を手に入れたが、おそらく日下部検事ならこんなことはしないだろう。公安検察という立場でプライドを持って仕事をしていたようだし。そのために外部の協力者として正義に憧れている羽場を引き込んだ。ただ羽場の危うさを彼は見抜けていなかったように感じる。同じ正義の味方だと思って彼を協力者にしたのだろう。そしてそれに共感する日下部検事も、羽場とは違いちゃんとした正義の味方でこそあるものの正義に固執していた人間だった。だからこそ羽場の自殺によって彼は壊れてしまった。降谷のように正義のためには冷徹になることも必要なのに、それができなかった。ただそれは人間らしいとも言える。実際毛利小五郎が検挙され起訴されかけた際無差別テロを起こして彼の無罪を主張している。これは小五郎を助ける行為だった。しかし民間人を犠牲にしてしまった。きっと焦っての行動だったのだろう。もしかしたら今回の主要人物の中で一番人間らしかった人なのかもしれない。

 

・降谷零

降谷に関して語ろうと思うと脳のヒューズが飛ぶので冷静に書くことはできない。が、唯一正しく正義の味方であったということはいえる。事故として処理されかけた爆発を事件とするための機転の利かせ方、小五郎がとらえられてからのギリギリのやり取り、コナンをただの小学生と思わずその力量を測り利用する、恐ろしく頭の回転が速い。そして結果彼は多くの人々を救った。正義である自分に酔うでもなく、正義の味方に憧れるでもなく、ただこの国を愛しているから、その結果正義になっただけで、だから犯罪スレスレ(いや犯罪か?)ということもやってのける。ただしきちんとけじめはつける。主題歌でうたっているように守るためなら悪にでもなるんだ。ある種純粋な人間なのだなと思う。

 

結論:安室透こと降谷零は奥が深い

どうやら音響にもかなりこだわっているらしいとのことなので音響の良い映画館でもう一度見てくる。車好きの方は是非音響の良い映画館で見てRX-7の音を味わってみて欲しい。