自由という名の特効薬

アラサーオタクのうつ病回復雑記。

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私はアダルトチルドレンなのか

本の紹介をするといいつつできていないが、ちょっと一気に詰め込みすぎて脳がオーバーヒートしているので本の紹介をする前に少し話させて欲しい。

アダルトチルドレンとは

アダルトチルドレン(Adult Children)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ」という考え方、現象、または人のことを指す。頭文字を取り、単にACともいう。

引用元:アダルトチルドレン - Wikipedia

私はアダルトチルドレンなのか

違和感を感じ始めたのは社会人になって1年目のときだ。

仕事が合わず実は一度やめている。その際にいろいろ病院をめぐったのだが当時は病気とは診断されなかった。その詳しい話はこちらの記事に書いてある。

 

結局3ヶ月後同じ職場の別の部署から誘いがありまた戻るのだが、その部署はわりと合っていたので続けられた。数年後また部署異動で違う部署に行きうつになる。

その3ヶ月の間、私は違和感の正体を突き止めようと自分なりにいろいろ調べていた。

そこで辿り着いたのがアダルトチルドレンというものだ。

 

うちは虐待があったわけではない。金銭的に不自由もしていない。端から見れば普通の家庭だったと思う。しかし、子育てに問題があったのでは、と思うような環境ではあった。

うちは両親共働きで、幼い頃は昼間は母方の祖父母の家に預けられていた。それが問題だとは思わないが、問題の一端を担っている気がする。

私は両親に褒められた記憶がない。怒られた記憶もない。何しろ気づけば昔のことはほとんどさっぱり忘れ去っていて思い出せないのだ。

なぜ思い出せないのか。

なにかトラウマ的要因でもあったのか。

覚えていないのではっきりとした原因がわからない。

ただ褒められたことがない、怒られたことがない、それから妹を贔屓していたというのは、はっきりとしたエピソードを語れるわけではないがうろんげに覚えている。

結果人から褒められても言葉通りうけとれない、怒り方がわからない、肝心なとき言いたいことが言えない大人に育ってしまった。自分に自信がなく褒められてもそんなことはないと思い、言いたいことが言えず溜め込み、とかく生き辛い人間になってしまった結果うつになったのだと思っている。

アダルトチルドレンを克服すべきか

つまりアダルトチルドレンを克服すればうつは治るということになるのだが、それでもアダルトチルドレンだと診断されてわけでもなし、ただもしかしたらの可能性の一つで、実際は違うのかもしれない。

とにかく自分がわからない。手当たり次第試すしかない。

そう思ってアダルトチルドレンの書籍を買い込みワークなどをやってみようとしたのだが、如何せん覚えていないのでろくにワークを進められず当時は諦めてしまった。

それでももし本当にアダルトチルドレンならば、それを克服しなければ私はずっと生き辛いままになる。それは嫌だ。なんとかして克服したい。そう思い再びアダルトチルドレンについて調べ始めた。

うちの親は"良い親"だったか

アダルトチルドレンについての書籍はおいおい紹介していくとして、うちの親について語りたいと思う。

両親ともわりと放任で、そのくせ変なとこでこだわりが強く、頑固だった。

私がどう育てられたのかよく覚えていないが、妹の育て方を見る限りスキンシップが少なかったと思う。

また共働きのため、祖父母の家に預けられていたのだが、これも何かしらの影響があったのではないかと思う。

普段は放っているくせに気まぐれに関わってきては、嬉しくないことを言う。おぼろげに覚えているのはそんなことだ。

宿題をしていていつもは何も言わないくせに、気まぐれに「チェックしてやる」と言い、見せると「できてないじゃないか」と"文句"を言われたのを覚えている。怒られたのではない。あれは"怒る・叱る"といった感じではなかった。不服げに不満げに言うのである。私は「わからなかったから明日聞こうと思った」と言えないのだった。

そもそも親に勉強を教わることを諦めていた。このきっかけだけは覚えている。小学1年か2年の頃、国語の宿題で文章を要約せよ、というものが出された。私は要約の仕方がわからず両親に助けを求めたのだが、両親とも「短くすればいいってもんじゃない」「そのままの方がいい」と自分の意見を述べるだけで全く取り合ってくれなかったのである。このとき私は強く「ああ、この人達に相談しても力になってくれないのだな」と認識した。それ以来勉強を親に聞くことはしなくなった。進研ゼミをやりたいと頼み、自力で解決するしかないと落胆した。

また友達の家に泊まりたいと言ったとき、間髪入れず強い口調で「だめ」と言われ、理由も聞けず我慢したこともある。

宿題の件だけが要因ではないだろうが、私は親に自分の意見を言うというのが本当に苦手だ。中学の時いじめで苦しんだ際はさすがに助けて欲しいと思い、でも言うことはできないので手紙を書いた。なんとかして自分の気持ちを伝えた。それでも返ってきたのは優しさや同情を感じられるものではなく、"親"としての意見というより"自分"の意見だった。親として助けてあげよう、というものではなく、自分はこう思う、という、表現し難いのだが要するに私の気持ちを汲んだ返事ではなく、結局私の状況は変わらず、ああ、やっぱりこの人達に頼ってもダメなんだ、私の気持ちは理解してもらえない、という思いを強くしただけだった。

どんどん私は自分の意見を言えなくなっていった。

やがて両親は喧嘩が増え離婚することになる。このとき最初親権は父であり、母が出ていくはずだったのだが、父よりは母の方が好きで、経緯を全く覚えていないのだが気づけば妹と私は母についていくことになった。このとき何があったのか本当に覚えていない。父が「お母さんが出ていくだけだ」と言ったのは覚えている。母に「お父さんとお母さん離婚した方がいいと思う?」と尋ねられたのも覚えている。でもそれからの記憶がすっぽりと抜け落ち、気づけば母と妹とアパート暮らしを始めていた。

父よりはまだ母の方が自分の意見を言いやすかったのだが、それでもこちらの気持ちをわかってもらえることはなく、結局母にも自分の気持ちを打ち明けなくなった。肝心な会話はせず、とりとめもないどうでもいい話だけをするようになった。

私は父が怖かった。家事は全く手伝わない、昔のタイプの夫だった。良く言えば寡黙で何を考えているかわからず、自分の母、要するに父方の祖母をよく怒鳴り付け、口を開くときは文句をいうとき、酔っ払えば母と怒鳴り合いの喧嘩をし、それでも気まぐれに優しい言葉を投げ掛けてくれていたが私は父が怖く、そんな言葉全く響かなかった。今では怖さは薄れ、ただ嫌いである。というか、興味がない。

対して母は、何気ない会話をするのは楽しかった。しかし肝心なことはわかってもらえず、複雑な心境だった。頑固で自分の意見をはっきり言う。私はそれに対抗できなかった。私がうつになってから優しくなったものの、それでもそれまでの理解のしてくれなさはそう簡単に払拭できるものではなく、好きかと問われればイエスとは答え難い。

父方の祖母は一緒に暮らしていたのだが、妹贔屓なところがあった。実際妹の方が昔はしっかりしていて、妹はちゃんとしてるのに、と言われることはしょっちゅうだった。また、私の集めていた漫画を勝手に部屋に入り勝手に捨てていたことがある。私はそれを知ったときも怒りのぶつけ方がわからず、とにかく勝手に捨てられるよりは、と持っていた漫画を全部売り払った。小さい頃はそれでも仲が良かったが、積年の恨みというのだろうか、今は嫌いまでいかなくとも何とも思わない。入院したときも、ふーん、で?という感じだった。心配など1ミリもしなかった。

母方の祖父母は、祖父はとても優しかった。昨年亡くなってしまったのだが、もっと会いに行っておけば良かったと後悔している。それでも涙は出ず、自分は冷たい人間になってしまったのか、という懸念が少し沸いた。祖母は我が強く、差別を普通のことだと思っている昔の人間だ。可愛がってくれはしたが、好きかと問われるとこれまたイエスとは答え難い。

私はどう育てられたのか

妹が赤ちゃんだった頃、泣いていた妹を見て父が怒鳴り付けたことがある。「もう泣いていても放っておくからな」この一言は強烈に私の記憶に残っている。

父が私や妹の機嫌をとろうとする方法は物を買い与えることだった。そのせいか、私は人を好きになる(恋人だけでなく)と物をあげて自分の"好き"を伝えようとすることに気づいた。

褒め言葉をもらった覚えがない。私が頑張って学力の高い高校に合格したとき、父方の祖母は「おばあちゃんが仏壇に祈ったおかげだね」と言った。そんなわけあるか私の努力だ、と思ったのを覚えている。もちろん思うだけで口には出せなかった。

自分の気持ちを口に出すというのが苦手なのは生来の気質なのか、育て方の問題なのかわからない。ただ父が怖かったこと、祖母が妹贔屓だったこと、そんな祖母の発言から誰も庇ってくれなかったこと、父も母も自分の意見をはっきり言い、「真緒はどう思う?」などとは聞いてくれなかったことを考えると、育て方のせいではないかという気がしてくる。

それから怒り方。父はすぐ怒鳴る、母は自分はこう思うということを言うだけで諭してはくれない、なんというか、自分の意見の押し付けで、私はそれがとても嫌だった。子供だった私は言い返せるほどの語彙力表現力を持ち合わせてはおらず、ただ言われるがままだった。言いたいことを溜め込むクセがついたのはこのせいではないかと思っている。

うちの両親含む周りの大人たちは子供を育てるのが下手だったのではないかと思う。学校でも、怒られたとき私は萎縮してしまい自分の意見が言えなかった。それを辛抱強く聞き出してくれる先生もいなかった。私は学校でも家庭でも、自分の意見の表現の仕方を教えてもらうことはなかった。

克服するには

本当にアダルトチルドレンに当てはまるのかわからない。でもアダルトチルドレンの本を読んで、ああ、わかる、となることが多いということは、私はアダルトチルドレンなのかもしれない。

アダルトチルドレンというレッテルが貼られるかどうかはどうでもいい。とにかく私の生き辛さが解消できればいい。そのために私は本を読み、ワークをすることにした。