自由という名の特効薬

アラサーオタクのうつ病回復雑記。

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さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

こんなツイートが回ってきてははあ、確かにな、と思った。

うつヌケストーリーはある種の闘病日記と言える。うつになった経緯、その苦しみ、そこからの脱出、そして寛解――起承転結きっちりしているものが多い。読み物としては当然、その方がわかりやすいし売れるだろう。

だが実際はどうなのだろう。

うつから抜け出せた人というのは、元々才能が有ったり、環境が良かったり、いわば運に左右されているところが大きい気がするのだ。

だから本を読んで、こんな才能私にはない、こんな環境私にはないと絶望することがある。

私が田中圭一氏のうつヌケを読んだのはかなり回復してからだったので、ふーん、という感じだったが、これがどん底にいたときに読んだらどうなっていただろう。嫉妬と絶望に苛まれていたに違いない。

うつ寛解を目指す身としては、憧れではある。

しかし、そうはなれないかもしれないという恐れもある。

普段はその恐怖から目を背けている。しかし調子が悪いとき、その恐怖は鎌首をもたげる。この苦しみからは逃れられないのでは、私はこのまま朽ちていくしかないのでは。

だからこそ、そうではない漫画がヒットしたのだと思う。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

この漫画を見かけたのはピクシブでだった。そこからあれよあれよという間に書籍化された。なぜこの漫画がそんなに共感を得てヒットすることになったのか。

うつを患っている主人公が、なんやかんやでレズ風俗に行って、それでどうにかなるのかというと、そうではない。

ただひたすら苦しみについて描かれていて、レズ風俗に行く決心をして、レポ漫画をネットに公開して、一時的に承認欲求が満たされて、それで終わり。

風俗に行ったからといって劇的な変化はなかった。

でも書籍化するほどの反響があった。

それは共感を得たからだ。

苦しんでいる人たちの共感を得た。書籍化できる反響があるほどの共感を得るほど、苦しんでいる人たちがいるのだ。

なぜ共感するだけの本がそこまで売れるのか。

それは安心できるからではないかと、私は思う。

苦しんでいるのは自分だけじゃないという安心感。

一種の傷の舐め合い。

それでも苦しいのは私だけじゃなかったんだという安心感は、とても大きなものなのだ。

この本が与えてくれた安心感は大きい。

寛解して元気になれる人ばかりじゃないのだと、世間には知って欲しい。

だから私も思う。こういう本がもっと広まりますように。