自由という名の特効薬

アラサーオタクのうつ病回復雑記。

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希死念慮と私2

 

希死念慮と私という記事を書いた後、読んだ方から八本足の蝶というサイトを教えていただいた。

二階堂奥歯という女性が自殺するまでを綴った日記サイトである。

 

残念ながら私はこのサイトを読み切ることはできなかった。自殺した日からさかのぼって数ページ読んだところで閉じてしまった。
二階堂奥歯という人間の知識は私から見てあまりにも膨大過ぎたし、その思いを理解するには底の見えない大きな穴を除くような恐怖が伴った。私にはその底を視通すことはできない。

 

ただこの大きな思いが、希死念慮というただの四文字で表されて良いものか。

 

圧倒的な読書量とそれによって培われた価値観と思考、死への羨望。死ぬまでの苦しみ。痛み。彼女の人生。いけないものとわかっていつつそれでも惹かれてしまうような、不思議な魅力があった。

 

それと同時に、私の希死念慮はではどういうものか?という思いが湧いた。

 

前回の記事で「希死念慮くん」と表したこの思い。人と共感することもある。死にたい消えたいという思い、あるよね、と同意することもある。

 

でもこれは、私だけの思いだ。

 

不幸や幸福のときに死にたいと二次関数のグラフのように存在感を増し、何もできないときには消えてしまいたいと囁く彼は私だけのものだ。

独占欲のような何かが湧いた。

これは私だけの彼だ。私の中の一部であり、私という人を形成する人格の一人だ。他の誰でもない。他の誰とも同じではない。そう思いたい、という思いが湧いたのである。

私は彼を抱きしめる。今は存在感を薄くそっと佇んでいる彼を抱きしめる。お前は私だけのものだ。私と共に生き、私と共に死ぬものだ。

彼は私と共に在らねばならない。彼は私の一部なのだから。

 

だから、この彼を「希死念慮」という一般的な名前で呼んでいいものか。

 

だから何か名前を付けたい。何なら外見から細かく決めてあげよう。

私だけにしかわからない、私だけしか知らない、私だけのために存在するように。