自由という名の特効薬

アラサーオタクのうつ病回復雑記。

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真面目不真面目問題

私はずっと自分は不真面目な人間だと思って生きてきた。

学校の宿題は極限に手を抜き何なら提出しないことも多々あったし、学校だって隙あらばサボろうとした。飽き性で三日坊主、勉強するのはテスト直前だけ、先生に「もうちょっと勉強時間増やせないかな」と苦言を呈されるぐらい勉強していなかった。こんな人間のどこが真面目だというのか。

 

そんな私が占いをして「真面目」という結果を与えられ続けたことによって、懐疑心が湧いた。私って実は真面目なのでは……?

 

うつは真面目な人がなりやすい病気だとよく言われている。ならなぜ不真面目な私はうつになってしまったのか。ずっと不思議に思っていた。

 

しかし占い結果で「真面目」という答えを出され続けて、思い至った。

 

私が思っている「真面目」の条件が、高すぎるだけなのではないか。

 

真面目な人間というのは何にでも地道に取り組み、飽きることなく続けられ、決して手を抜くことがない人間だと思っていた。そりゃあこんな人間ならいつか精神がやられてもおかしくはない。だって手が抜けない完璧主義なのだから。

それに比べたら私は真面目ではないと言える。胸を張って言える。

 

では、真面目の条件を低くして見てみてはどうか。

 

宿題をやらない → これはどう見ても不真面目な要素である。

学校をサボる → それでも単位が取れる程度にはきちんと通っていた。

飽き性、三日坊主 → それでも一応取り組んでいる

テスト直前だけ勉強する → それでもきちんと勉強している

 

落第する人、そもそも取り組まない人、テスト勉強すらしない人に比べれば、私は真面目と言える人間だった。

 

つまり私は、上と比較してばかりいただけだったのである。

 

上には上がいるが、下には下がいる。

私の思っていた真面目な人に比べれば私は不真面目だが、私は私なりに真面目に生きていたのだ。そして私はもっと真面目な人と比べて不真面目だと思っていた。ずっと上を見上げ続けていたのだ。ずっと上を見続けて、そんな人達に比べれば私なんて、と自分を卑下してきた。要するに自己肯定感とやらが低かったのだ。

 

上を見上げ続けていれば首が痛くなるのは当然である。今の私は、首を痛めてしまっている状態なのだ。

自分なりに頑張って生きていたことを認めず、私はまだまだ頑張りが足りないと、自分を責めてしまっていた。

私は私を認めるべきなのだ。

自分なりに頑張って生きてきた、自分なりに真面目に生きてきたんだと。

 

そう考えるとなんだかストンと腑に落ちて、気分がラクになった。

これからは自分を褒めて、自分を認めて、そうして生きていきたい。